’13
Jul
15
ダサ愉しい
今朝のドラマで気になった… 気に入った一言。
『ダサくても愉しかったべ!』
日々 生活であれ仕事であれイベントであれ
その時その時 必死でよいものにしようと奮闘する。
しばらくすると必死で積み上げたその何かは
ほとんどの場合ダサいものになっている。
なぜ それをチョイスしたのか自分のセンスを疑い
多かれ少なかれ自戒の時間がやってくる。
心のなかでダサダサと煙がくすぶる。
どんなに頑張っても工夫を凝らしても後にダサくなる。
当事者外の人たちからの冷ややかな視線や傍観者の批判、
それなのになぜ我々は性懲りもなく何かをしたくなるのか。
ダサくても愉しい!
そうなのだ。
ダサダサの燃えカスの中に燃えずに残るものがある。
それが『愉しかった』だ。
生きている限りこれからもダサダサを燃やし続けるに違いない。
そしてその燃えカスの中から『愉しかった』を見つけてはコレクションし、時々取り出して眺める。
なんというダサい行為であろう。
そしてなんという愉しい行為であろう。
SUBURI / ことば / 仕事・イラスト・デザイン