’06
Jun
24
idea 工夫
先日の「工夫」についての日記の反応が良かったので
調子に乗ってもう少し書き足すとするのである。
自分には努力は不向きである…と書いた通り
そもそも「努力」という字面がニガ手なのである。
何かこう力が入ってる上に苦しみを伴いつつ、
さらには上から強要されてるイメージが強い。
学生の頃から努力なしで色々あれこれ何とかならぬものかと
考えに考え続けたがこれといった答えが出ぬまま長い年月がたった。
自分に軽くムチを打つという様な努力風の日々を過ごし続け、
独立に至り、10年がたった頃に例の看板に遭遇したのである。
通勤で毎日通っていたファッションビルの階段の上、
ポーズをきめたモデルの横に白文字でスーっと一行のコピー。
「幸福になるにはアイデアが必要だ」
なんと!
なんですと!
マジっすか!
幸せになるためには「努力」ではなく「アイデア」が必要だと!
小学生の頃から耳にタコができるほど繰り返し聞かされてきた
「努力」という名の大男が「アイデア」というスマートな達人に
柔よく剛を制すという具合に軽~くはらわれ、一本を取られた瞬間だった。
耳にタコが目からウロコなのだった。
努力こそ美徳であり幸せの近道だという精神を知らず知らずのうちに
身につけていた自分にはあらためて驚きの一言であった。
ハッキリ言ってしまうのも気が引けるが
「頑張る」とか「努力」が苦手であったのは紛れもない事実。
自身の向上も人間関係もお金儲けも「努力」は必要不可欠だと
信じるがあまりムダに力が入る→疲れる→うまくいかない→努力が足りない
という悪循環に陥ってましたとも。
「幸福になるにはアイデアが必要だ」
アイデア…意訳すると「工夫」と思いつき、
わが心の辞書の「努力」をできる限り「工夫」に置き換える訓練を開始。
といってもそれこそ何の努力もせずに
サラサラと「工夫」に置き換えることができたのである。
作品をうまく作る「努力」よりも
作品をうまく作る「工夫」の方が自分の中では
はるかに楽しげでやりがいがある行為だったのだ。
もっと「努力」してみてはどうか。
まだ「努力」が足りない気がする。
もっと「工夫」してみてはどうか。
まだ「工夫」が足りない気がする。
しなくてはいけない行為そのものが変わるのではない。
心持ちが大きく変わるのである。
命令口調の「努力」よりも
提案口調の「工夫」の方が
はるかに受け入れやすかったのだったのだったのだ!
何が好いって
結局は、「気が楽である」
の一言につきる。
ではまた。