STUDIO POOL—BLOG

’12

Aug

21

大正沖縄子ども会/2012同窓会

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今を去ること30年前、
リトル沖縄と言われている大阪市大正区の平尾町に
『大正沖縄子ども会』というのが発足した。

子どもの総勢20人ほどの小さな会だった。
大阪生まれの沖縄二世を集めて三線や島唄を伝え残して行こう!
と大正区に住む沖縄出身者が真っ先に思いつきそうなアイデアである。
いつどこでそんな話になったのか全容は全く知らないが、
間違いなく我々の両親や祖父母たちが発起人であった。

集められた我々は何がなんだか解らぬまま沖縄民謡の世界へ招かれ、
三線を習い、島唄を歌い、足首までしかなかった沖縄感が
気がつけば肩の位置まできていた。
音楽指導を受けていたのは平尾小学校の教師、
沖縄出身の仲村先生で当時は30歳くらいだったと思う。

徐々にレパートリーが増えていった我々に
当然のことながらお披露目する機会というものは作られてしまうわけで
大正区沖縄会館での発表会、ローカル局のTV出演、
ハイサイおじさんで有名な喜納昌吉さんの前座を務めたこともあった。
最終的には沖縄遠征まで果たし、
住んだことのない故郷の大ホールで緞帳が上がったときの光景や
鳴り止まない拍手や指笛は今でも鮮明に覚えている。

下は小学生低学年~上は中学生の子どもたちが
遠く離れた故郷の歌を演奏し唄うという光景がいかに感動的なのかは、
子を持つこの歳になるととてもよくわかる。

時は過ぎ、あの子どもたちが二度目の成人式を終え、
先日久しぶりに先生を迎え集まろうということになった。
『大正沖縄子ども会』の連中は完全に『大正沖縄おとな会』になっており、
当時の発起人の親の年齢を超えていた。

見た目は少々変わってしまってても学校の同窓会同様、
話しだすと驚くほどキャラクターはそのまんまで懐かしい話に花が咲いた。
居酒屋で好い心持ちになり、カラオケボックスに移動した際は
琉球民謡で盛り上がり最後は全員でカチャーシーになると思いきや、
MAXや湘南乃風でエキサイト。

顔は沖縄でも我々はやはり二世なのである。(笑)
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